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 30日の夜は職場の元同僚で現在は安房鴨川に帰郷したキャミソール大臣荒井聡さん(仮名)が東京にやってきたので、同僚の岩崎弥太郎さん(仮名)と3人で飲みましたです。
 ということで帰宅したのは1日の0時。起きたら二日酔いでそのまま出勤したので、30日の記事ですが書いてるのは1日の夜だったりします。

 以上、久々に荒井聡さんと飲んだ話の後は高松宮記念V4を誇る太田和美も5号艇で優出した住之江シティーナイターG1第38回高松宮記念特別競走の話。

住之江G1高松宮記念特別競走優勝戦

 枠なり3vs3の進入から4号艇石田政吾が1号艇中島孝平を差しきって先頭に立ち、今年10回目・住之江2回目・通算59回目・記念は2001年尼崎SGオーシャンカップを含む5回目の優勝
 後続は孝平に対し6号艇山口剛の差しが迫り、2M外握った孝平の内にツヨシが潜り込んで差を詰め、更に2周1Mではツヨシが内から艇を合わせてほとんど同体になりますが、2周2M内から艇を伸ばし先行したツヨシを孝平が行かせて捌き、孝平2着で北陸三国勢のワンツー。


 石田政吾は2004年10月の第32回以来6年ぶりの高松宮記念出場で、それ以来の住之江優出で見事優勝して2002年9月G1びわこダイヤモンドカップ以来の記念Vとなったわけですが、8年もタイトルから遠ざかってた要因のひとつは前出の2004年高松宮記念(動画)で優勝戦スタート展示6コースから本番で1コースに入って返還欠場(※2004年当時スタ展大外→本番インは禁止)となり、それにスタートタイミングを狂わされた内枠3艇がフライングに散る歴史的大返還(優勝戦売上4億3826万円中4億3670万円が返還)の主犯になってしまった事。
 この事件をきっかけに記念戦線から遠ざかった石田政吾は2005年から昨年までの間記念戦線で優出したのは2005年12月G1三国モーターボート大賞と2008年10月丸亀SG全日本選手権の2つだけ。
 しかし今年はG1斡旋が少なかったとはいえG3企業杯V4を含むV9の活躍で、久々のG1出走だった前走地の地元周年三国G1北陸艇王決戦で優出2着の活躍。
 そんな上り調子の今年、6年ぶりに呼ばれた高松宮記念でガンバリマシテ2004年のみそぎを済ませたのです。

多摩川日刊ゲンダイ杯優勝戦

 1236/45の進入から02トップスタートの4号艇香月大介がカド捲りを決め、2002年4月宮島一般競走以来となる通算3回目にして多摩川初優勝
 香月に捲られた後に内枠2艇を捲った3号艇寺本重宣(東京支部)が2番手につけ、2Mと2周1Mのフルターンで2着を取り切りました。

児島JLCカップ優勝戦

 CSマジック1だった千葉ロッテの試合は雨天中止順延になり、決着は1日に持ち越されましたが、29日の下関西京波者結成1周年記念で山口101期4475末永祐輝が三カド捲りで初V決めた翌日の児島優勝戦は俺たちの誇り千葉ロッテファン三角哲男が1号艇。
 しかし1236/45の進入になったレースは3号艇乙津康志が08トップスタートを決めて三角を捲りきり、捲り差しで続く6号艇白石健とのトップ争い。
 ですが三角も内に切り返して伸び返し、2Mはトップターン。
 ここは先マイ乙とばかりにしらけんと乙津が差しを入れますが、三角はしらけんにこそ差されたものの乙津の二番差しに対しては優位に立ち、先頭のしらけんが内から乙っ津ける乙津を包んでややミッスーった所を2艇を行かせて差した三角がしらけんを捕らえ、2周2M先に回ってしらけんを突き放した三角が今年2回目・通算59回目の優勝は通算1499回目の1着。
 千葉ロッテマリーンズはプロ野球日本選手権出場権をかけるCS出場に王手ですが、CS380chで放映される桐生SG全日本選手権に出場する三角哲男は1500勝に王手です。

江戸川日刊スポーツ杯3日目

 今年1月の新春金盃5日目に私物部品持ち込みによる整備規程違反の為江戸川即刻帰郷になった海老原孝志はどうやら私物部品持ち込みがうっかりの類だったようで、その後も普通にレースに出場して江戸川にも今年2度目の出場。
 この日の第5R3号艇ではターンが掛からない状態ながらも果敢に握っていき、ターン中に振り込んで選手責任転覆を喫してしまいましたが、2日目第2R1号艇では1着を挙げており、新春金盃のみそぎを済ませてます。